FC2ブログ

スポンサーサイト【スポンサー広告】

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。



シェア

地震被災者が伝えるべきこととは?【地震】

地震列島・日本の教訓」という番組が
先週まで4回シリーズでNHK教育にて放送されていました。

パーソナリティには、関西学院大学室益輝教授を迎え、
過去の震災からその教訓を再評価するという番組で
大変興味深いシリーズとなっていました。

<ご参考>歴史は眠らない「地震列島・日本の教訓」

今回はその第1回(1/4(火)放送)
過ちを後世に伝えよ~安政南海地震と災害体験の伝承
について書きます。


まず、題名にある安政南海地震については、
発生月日 1854年(安政元年)12月24日(旧暦11月5日)午後4時頃。
震源地 紀伊半島沖
マグニチュード 8.4
被害 死者数千人。滅失家屋数万棟。津波発生。
特記事項 この32時間前に安政東海地震(M8.4)が発生。
この約5ヶ月前に伊賀上野地震(M7.25)が発生。


という日本列島ではほぼ「定期的」に起きている
海溝型地震の一つです。

この安政南海地震で多くの史料、石碑が起こされているのは、
宝永南海地震(1707年)から150年弱で再び南海地震が発生し、
「地震による津波の被害は避けられない」と当時の人々が
考えたことから多くの史料・石碑が残された、と言われています。


さて、安政南海地震の翌年建立された
大地震両川口津浪記碑」(大阪市大正区)には、
以下のような文言が書かれています。

 20110201津浪記碑
・伊賀上野地震では、川のほとりにたたずみ、
 余震を恐れながら4,5日の間、不安な夜を明かした。
・安政南海地震では、空き地に小屋を建て、
 年寄りや子供が多く避難していた。
・地震が発生しても水の上なら安心と思い、舟に乗って
 避難している人もいたところ、翌日の夕方、再び大地震が起こり、
 家々は崩れ落ち、火災が発生した。
・その様子がおさまったころ、雷のような音とともに
 一斉に津波が押し寄せてきた。
・その昔、宝永南海地震の時も、小舟に乗って避難したため
 津波で水死した人も多かった
と聞いている。
・長い年月が過ぎ、これを伝え聞く人はほとんどいなかったため、
 今また同じように多くの人々が犠牲となってしまった

・今後もこのようなことが起り得るので、
 地震が発生したら津波が起こることを十分に心得ておき、
 船での避難は絶対にしてはいけない。 

この碑からは、津波の危険性を学ぶとともに、
地震についての教訓の伝承について学ぶ必要があります。
つまり、地震の際に、どのように行動すべきなのかを
被災者が「正しく」伝えていく必要がある
ということです。

また、近年でも北海道南西沖地震(1993年、M7.8)でも、
北海道の奥尻島を中心に津波による死者が多数出ています。
これは、この10年前の日本海中部地震(1983年、M7.7)で
発生した津波が、地震発生後17分と比較的時間的余裕をもって
奥尻島に到達したため、「津波が襲来するまでには時間がある」と
誤って考えた人がいたためと言われています。


現代においても、過去の地震の教訓を「正しく」継承し
その教訓を活かす努力をすることが求められているといえましょう。
スポンサーサイト



シェア

テーマ : 雑学・情報 - ジャンル : 学問・文化・芸術

TAG : 地震 津波 南海地震 大阪 教訓

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。