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SNSは共助を加速させる?【地震防災(地域)】

「地震列島・日本の教訓」という番組が先月、
4回シリーズでNHK教育にて放送されていました。

パーソナリティには、関西学院大学室益輝教授を迎え、
過去の震災からその教訓を再評価するという番組で
大変興味深いシリーズとなっていました。

<ご参考>歴史は眠らない「地震列島・日本の教訓」

今回はその第2回(1/11(火)放送)
「震災復興のモデル~濃尾地震と災害対応」について書きます。


まず、題名にある濃尾地震については、

発生月日:1891年(明治24年※)10月28日
日清戦争開戦の3年前です。
震源地:岐阜県本巣郡根尾谷(現在の本巣市)
マグニチュード:推定8.0 (阪神淡路大震災の約30倍のエネルギー)
被害:死者は7273名、負傷者17175名、
   全壊家屋は142,177戸(理科年表)
その他:山間部の山腹崩壊とそれによる河川の被害、
    平野部の液状化も発生

という日本の内陸で発生した最大級の直下型地震です。


この濃尾地震は、明治維新後の日本が経験した、
初めての大震災となったのです。
災害復旧や災害救援などの災害対応の原型として、
様々な課題が浮き彫りになる一方で、
現代にも通ずるような適切な対応も見受けられ、
この災害から学ぶべきポイントは非常に多いと感じました。

当時の災害対応について要点を抜粋して挙げてみます。

[課題点]
・消防組織、救助体制、医療体制がともに不十分だったため
 官民あげての支援が必要だった。
・阪神淡路大震災と同様に、多数の人の救助が間に合わず、
 家屋の下敷きの状態で火災に巻き込まれ死亡した
・災害時の法整備がなされていなかった

[見習うべき点]
・当時の首相松方正義は災害直後に被災地を訪問し
 復旧財源の確保を即決即断で決意し、議会の承認を経ず、
 緊急勅令を発して臨時救済費の支出をはかった
・地震防災関連の科学研究の推進に努めた
・陸軍第三師団が師団長桂太郎(のちの首相)の判断で
 市民救護のために出動し、人命保護に大きく貢献した
・堤防工事では村民総出で、救助・消火活動では
 住民・学校の生徒で、炊き出し活動も地域総ぐるみで行われ、
 延べ217万人の被災者が恩恵を受けた
滞在中の力士が救助活動や消火活動に参加し、
 家屋に閉じ込められた200人以上が救出された
・全国的な無償支援として宗教団体の救助活動、
 外国人団体の物資供給があった
600人以上の医師が全国から支援に駆けつけた

こうして並べると、課題点は、
近代化して間もない時期なのである程度仕方ないことですし、
指導者のリーダーシップと被災地内外の共助の精神など、
むしろ見習うべき点が多いことに気づかされました。

リーダーシップについて、首相や師団長は、
従来踏むべき手順を踏まなかったため、
問題視されたり越権行為と見なされて
何かしらの処分を受けるリスクがありました。

それでも敢行したのは「スピード」を優先したためでしょう。
このことは災害対応の根幹となる重要なポイントだと思います。

また、共助については、包括的で重層的な社会連携
欠かせないことがわかります。
そして、共助の「スピード」を上げる特に重要なポイントとして、
当時マスメディアが果たした役割は大きいものでした。
情報が速く伝わることで、迅速に救援が集まったものと考えられます。

現代においては、マスメディアからの正確で迅速な情報発信とともに、
共助をより一層促進させるツールとしてtwitterなどのSNSが、
重要な役割を果たすことが期待されています。


(ご参考)
ハイチ地震、Twitterが情報交換の場に
(2010年1月13日/まなめの「週刊Twitterなう!」 ― 第27回
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テーマ : 雑学・情報 - ジャンル : 学問・文化・芸術

TAG : 地震 地震保険 SNS 災害 教訓 岐阜 愛知

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